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アメリカ在住の日本人がいろいろ書き散らす

障害者って面白いよね! 差別ネタで有名な『メリーに首ったけ』『Mr.ダマー』のファレリー兄弟、表彰される

 ここ二年くらい読み続けているねこたまさん(id:puyomari1029)のブログに、自閉症の息子さんがご自宅で、パニック状態になった時のことが詳細に書かれていた。

dakkimaru.hatenablog.com

 いつもながら、愚痴っぽい言葉が少なく、「次はこうしてみよう」という感じでさらっと終わっていることに尊敬の念を感じずにはいられない。これって、まさに心を削られるようなストレスの時間だと思うから。特に、周りにほかの家族がおらず自分とパニック当事者だけの時とか、焦りとプレッシャーで冷静さが吹っ飛び、もう何年もやってきていることなのに適切な対処が思い浮かばず、こっちまで一緒にパニックになってしまいそうになる。

早く終われ・・・早く終われ・・・早く終われ・・・・・・!!!

と、心で念じるだけでおろおろしてしまったり・・・。おさまった時には、何も手につかないくらいに、いつも疲れる。

 しかし、これって5歩くらい引いて見てみると、なんというか、ほんとこんなこと言うの申し訳ないんですけど・・・

笑えます・・・。

笑ってしまいます・・・。

本でも一緒に読んでパニックをなだめようと、必死の思いで「好きな本を持っておいで」という母親に、「ほん」とひらがなで書いた封筒を渡す息子。
本がダメなら歌でなんとか!と、半ばやけくそで嫌々『100%勇気』を熱唱する母親・・・。

 どことなくコメディ入ってるというか・・・。

 これが、ご近所へのご迷惑とかそういうことを気にしなくていい環境であれば、もっとおやりなさいと言いたくなるおかしさがあると思う。

 ねこたまさんはじめ、自閉症児・自閉症者のお世話をしている方々、どうか悪くとらないで下さいね。バカにして笑っているのではありません。

 でも、おもしろいなって思ってしまうこと、ありませんか?
 
 たとえば、だいぶ前の我が家での出来事なんだけど・・・。

 ある日、夕方、浴室のほうから、あんたは麻酔無しで手術でもされてんのかというような苦悶の絶叫と号泣が聞こえてきたことがあった。まあ、そういうことはよくある。夫が入浴の介助をしてくれていたし、すぐ落ち着かせてくれるだろうと思ったのに、阿鼻叫喚の沙汰はなかなか終わらない。さすがに様子を観に行ったら、夫は浴室にすらおらず、付近で別のことをやっているではないか。

「だいじょうぶだよ、ほっとけよ。どうすることもできねーよ、だってさあ、風呂に浸かりながらさー、お湯に浮かべたボールが動く、ちゃんと静止しない、浮かんだボールがきちんと並ばないからなんとかしろってギャーギャー騒いでるんだよ、できるわけねーよ。頭に来たからもう風呂水ぬいてやったよ」

 我が子よ、物理法則に挑戦してどうする。そのうち、「木から林檎が落ちたー!!上に行かないで下に落ちたー!!うおおおおぉぉぉぉ~」とパニックになってのたうり回ったりするんだろうか。

 浴室からの絶叫が静まった頃、様子を見に行くと、全裸で空になった浴槽に座り込み、ボールを三つ並べ、思いをとげて勝ち誇った笑顔で悦に入っている我が子がいた。

 叫んでる君も疲れたろうけど、聴いてるこっちもぐったりだよ。しかし、これはうまい作家が書けばコメディーの一場面だよなあ、とその時に苦笑したことを覚えている。

 そう、自閉症児を育てていると、渦中にいる時はそれどころじゃないけれど、過ぎてしまって振り返ると、滑稽と言うかこれもう笑うしかないでしょ、という瞬間が結構ある。

 そんな自閉症者たちの笑うには微妙だけどなんかおかしい姿、それを本当にコメディーにしてしまった人たちがいた。ピーター・ファレリーとボビー・ファレリーのファレリー兄弟である。
 彼らは、兄弟で、あるいはバラバラで、映画やテレビの脚本を書き、監督・プロデュースをやってウン十年の人たちで、作品のほとんどすべてにこれでもかこれでもかと障害者を出してくる。自閉症だけじゃなくて、いろんな障害の人が出てくる。
 例えば、兄弟の代表作のひとつ、『メリーに首ったけ』。
youtu.be

 もう20年以上も前の映画だけど、本当に世界的に流行ったおバカお下劣低俗ラブコメだった。当時、人気絶頂で美貌のピークだったキャメロン・ディアズがヒロインのメリー役で、彼女はいわゆる「きょうだい児」、弟が知的障碍者という設定だった。彼は手をひらひらさせたり、パニックになるとイヤー・マフをしていたので、作中では明言されないものの自閉症だろうと思う。

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ヘッドフォンしてボール持って・・・うちの子だ・・・

 このメリーの弟の描かれ方が微妙で・・・。うへーとか言いながらわけのわからないことを言ったりしたりして、メリーと結ばれたい一心の主人公(ベン・スティラー)を悪意は無いながらもサディスティックなまでにいたぶったりする。コメディのネタ提供役というか。

 彼らのやり方は、「障碍者をバカにしているのか、それともこれは愛ある笑いなのか」という、どちらともとれるものすごく微妙なラインの上にあって、観る人によって受け取り方はどちらにもなったように思う。差別だという抗議も多かった。日本の批評家や映画愛好家の間でも、「これいいの?」という困惑はあったように思う。

 私は、当時、その微妙なセンを実現しているところにファレリー兄弟のすごさを感じ、しびれた。これ以上やるとやり過ぎで差別になるし、だからと言って障碍者をよくある「無垢な天使、いい人」のように描くとそれはそれで白々しいし。
 あれだけ議論を呼んでも抗議されても、まるで何かに挑戦するかのように、障碍者を出し続けているという事は、この兄弟はもしかして障害者が好きなのではないかな、と思っていた。もちろん自閉症の子も育てておらず、障害のある家族もおらず、当事者からかなり遠いところにいた時だったので、差別を感じられなかっただけかもしれないけど。

 まあ、いつもそんな議論の的だったファレリー兄弟。

 先日、彼らに関するVaraiety誌の記事を読んで、嬉しくなった。

「ファレリー兄弟、インクルージョンと社会活動で賞賛される」

variety.com
 
 ファレリー兄弟が、長年に渡る障碍者の映画への起用・裏方への雇用を評価されて、障碍者のインクルージョン推進のための慈善団体に表彰されたという記事。

 まだファレリー兄弟がデビュー作『Mr.ダマ―』でやっと成功していた頃、その映画を長年の友人(車いすが必要な方だそうです)に見せたところ、
「自分のような人間は出ていないんだね、それどころかどの障害者も出ていない」
と指摘され、それからは必ず障害のある人を映画に出すことを誓ったという。

「障碍者のコミュニティにはどんなものを与えたって、もっと多くのものを返してくれるんだ。」
“Whatever we’ve given to the disability community, they’ve given us a lot more back.”

 これはボビー・ファレリーの言葉。ピーター・ファレリーはこう言っている。

「障碍者は、仕事を遅くするし金がかかるっていう説、どちらも逆だよ」
“That they will slow you down and cost you money. It’s just the opposite,”

 彼らはいつも一番準備してきてくれる人たちだ、とのこと。ファレリー兄弟はこうも言っています。

「真実を語るために映画で障害のある人たちを起用している。現実の世界に関する物語を語りたいなら、すべての人が入っていなかったら、それは現実とは言えない。」
“We use people with disabilities in our films to tell the truth. If you want to tell stories about the real world, and it’s not real unless you include everyone.”

「ショー・ビジネスには、ほかのどの業界よりも人々の考え方を変える力がある。」
“Show business has the power to change public perception like no other industry.”

 やっぱり障害者をバカにしてたんじゃなくて、きちんとした覚悟の上でやってたんですね。障碍者の映画内での描写がうまくいっておらず、差別ととる人もいたかもしれない。それでも、何かを変えたいと考えて実際に行動し続けたわけで、こんな人たちがいるんだと思うだけでなんというか元気が出ます。
 すごいな!ファレリー兄弟。常々、バカにバカ映画・バカ小説は書けないとは思っていたけれど、あんな下品な映画で映画史に名前残した人たちが、実際はこんな人格者だったとは。そのギャップがクール。

 最近は、年齢相応(60代半ば)に『グリーン・ブック』とかまとも(?)な映画を大成功させているけれど、また低俗コメディ撮ってほしいな。
 
 障碍者の困りごとぜーんぶ、笑い飛ばしちゃってほしいです!!