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アメリカ在住の日本人がいろいろ書き散らす

「ゲイ・カップルのためにウェブサイトは作れない」、言論の自由と差別からの自由、どちらが優先されるのか

アメリカの最高裁 (https://pixabay.com/photos/us-supreme-court-building-2225765/)

 アメリカの法曹界って、日本でいう所の「年度末」みたいなのがあって、どうやらそれが6月末らしい。そのせいで、6月最終週はアメリカの最高裁で重要判決目白押しでした。その中で、私が深く悩んでしまったのが、あるウェブデザイナーコロラド州の裁判の判決です。
 
 簡単に訴訟の内容を説明すると・・・

 アメリカのコロラド州のグラフィック・デザイナー、ロリ―・スミスさんという方がこんな主張をされておられるわけですよ。

「私は、ロゴや店舗の看板を始め、あらゆるもののデザインを手掛けるデザイナー。私の住むコロラド州の州法が定める通り、私は、あらゆる人種、あらゆる信条、性的指向を持つ人々とビジネスをしようとしている。しかし、私は敬虔なクリスチャン、結婚は男性と女性との間のものであるべきだという固い信条を持っている。だから、同性婚をする客からのウェディング・ウェブサイト作成の依頼は断りたい。同性婚を祝福するようなメッセージを含むものは作れない。コロラド州はそうした私に対して、罰則を適用することはできない。それは私の言論の自由への侵害である。」

 つまりスミスさんは、コロラド州の「おおやけに向けてビジネスをオープンしている人は、肌の色とか出身国とか性的指向とかで、あの人は客にするけど、こっちの人はダメ、みたいなことはしちゃいかん、それは差別ですよ、罰則がありますからね」という法律に挑戦しているということ。
 この法律っておそらく元々は、黒人差別が横行したいた時代、「黒人お断り」「白人オンリー」みたいな看板かかげている店がうじゃうじゃあった時代、そういう時代みたいにならないためのものだと思われます。映画とかでこういうシーン、観た事ありませんか? 

場面:とある食料品店
黒人(日本人でもいい)の子供「リンゴを三つください」
店主「売り切れだよ」
子供「えっ・・・でもほらあそこの箱にたくさんありますけど・・・」
店主(ちらりとリンゴを見て)「ああ、あれは明日の分だから」
子供 (店の外にとぼとぼと出てくる。)
ほどなくして、その彼を同じ店から出て来たリンゴを持った白人が追い越していく。

・・・というような展開です。このバリエーションがよく小説や映画で出てくるような・・・。まあとにかく、コロラド州の法律の背景は人々がこういう差別にあわず暮らせるように、こういう差別があったら抗議の声をあげられるように、という意図で作られたという背景があります。

 そして最近の結婚ですが、どうやら「ウェディング・ウェブサイト」なるものを作る人が多いんですかね? 結婚する二人がどういう人で、二人にどういう歴史があるのかとか、結婚式のスケジュールや会場まで行き方とか、そういうのをウェブサイトにするらしい。紙の節約にもなるし、招待客も道に迷ったらすぐそのサイトにアクセスできるし・・・便利だけど・・・なんか結婚ってどうもナルシストな匂いが漂いますね。まあとにかく、スミスさんは、ゲイカップルのためにそんなものを作るのは、同性婚絶対反対の私には無理、とおっしゃられているわけですよ。
 まあ彼女の気持ちは想像できんでもないのですが、なんでそこで「言論の自由」が出てくるのか、まずこれが紛らわしい。「宗教権の行使」じゃなくて「言論の自由」。 合衆国憲法で保証されている大切な大切な権利です。いつも非常に都合よく使われている難しい権利でもありますが。 「言論の自由」、国家はすべての人の自由な発言や表現を保証するという、日本でももちろん保証されている権利でわかりやすいとは思いますが、スミスさんが主張しているのはその逆バージョンなんですよ。つまり「国は、個人の信条や主張に反した発言・表現を強制することはできない」という「発言しない権利」です。「自由な発言の権利」も認められているし、「しない権利」も認められているというわけです。これも、「言論の自由」の一部なんですねー。 だから、国歌斉唱の時に斉唱しないで抗議のためにひざまずいてもいいし、公立校で毎朝「星条旗に忠誠を誓います」みたいな宣誓するのも嫌ならやらなくていい。強制はできない。日本でどっかの知事が「君が代の時に座ってる教職員はクビ」みたいなこと言ってたことあったけど、アメリカでそれやったらその知事のほうが裁判に負けるということ。
 スミスさんは、「ウェブサイトは私の表現 → だからゲイ結婚祝福を表現することになっちゃう → 望まない表現を強制されない権利の侵害だよね → 政府にゲイカップル差別で罰則受けるいわれはない」という論理なわけですね。わかります、わかります・・・と言いたいところですが・・・でも・・・じゃあ・・・

 ウェブ・デザイナーがデザインを依頼されたウェブサイトに「窓の修理ならウィンドウ・ガイ!最もお得でベストな俺たち!」に書いてあったら、そのデザイナーが「ウィンドウ・ガイという会社はその業界で一番お得だし腕前がいい」と認めたことになるのか?
 ウェブ・デザイナーが自分がデザインを依頼されたウェブサイトに「はぁ!?まだそんな薄い髪で婚活してんの!? 三日で結果が出る増毛剤↓↓」とでかでかと載せたら、そのデザイナーが頭髪の量で誰かを差別するメッセージを発したことになるのか?
 ウェブ・デザイナーが「宇宙人はいる! 政府の陰謀論を解説」みたいなウェブサイトをデザインする仕事受けたら、その人は陰謀論者なの?
 ウェブデザイナー以外でもいろいろあるよね?
 客から依頼された絵や字をTシャツにプリントする会社が「神は死んだ」っていうTシャツ作ったら、その会社は神を冒涜したことになるの?
 ハリウッド俳優が悪役の台詞で「薄汚い日本人の豚野郎め、お前らは滅びろ!」って迫真の演技で言ったら、その俳優は日本人差別のメッセージを発したことになるの?

 ちょっと違うんじゃないのか、と思うんですけどね。
 それはその仕事を依頼した人たちのメッセージであって、デザインしたり演じたりした人たちのメッセージじゃないですよね。それ言い始めたら、なんだって「自分の表現」になっちゃわないか? 最高裁の判事の一人も、「極端な話だけど、サブウェイでは客にサンドイッチを作るラインの人たちを”アーティスト”って呼んでいる。そのアーティストたちがひとつひとつのサンドイッチは自分たちの表現だから、ゲイ・カップルのためにその表現活動はしたくないとか言い出すこともできるんじゃないの」みたいなこと言ってたな。
 それに、この主張が通ったら、ゲイの人たちだけじゃなくて、今、差別から保護しようとしているあらゆるグループに影響が及んでしまう。つまり、日本人含む少数人種も。とある判事は想定される醜い例として、「スクール・ピクチャーを担当するカメラマンが、撮影は私の表現、私は敬虔なクリスチャンで異人種間の結婚は信条に反する。だから、異人種間結婚の家庭から来ている子供の写真は撮りたくない」、こんなことが起こったらどうすんの、と疑問を呈してましたね。この時代に信じられないことですが、同性婚反対者ほど多くはないとはいえ、異人種間結婚は神の意向に反するとマジで信じている人たちが結構いるんですよ。
 それに、これ宗教が絡まなくても、「私の信条に反します」と言えばなんでもありになるよね、というのは最高裁でも指摘されていました。差別への道が開けてしまう。「私の祖父は第二次世界大戦で日本人に殺されました。日本人とビジネスするな、というのは我が家の家訓です。私は美容師ですが、一つ一つの髪型は私の独自の表現なので、日本人の方のヘアスタイリングはしません。」 こんなのもオッケーになりかねない。

 だがしかし! こんな差別への道を開いちゃうようなウェブデザイナーさんの主張は認めるわけにはいかん、と言いたいところですが、そうも単純にいかんのですよ。ここで、「ロリ―・スミスさん、あんた間違っとる、あんたが心の中でどんな信仰、信条を持ってもそれはまったくの自由、でもみんなにオープンしているビジネスなんだから仕事は仕事」というソトマイヨール判事(リベラル、オバマ指名)のような意見が通ってしまうと、これはこれで醜い展開も予想されるわけです。保守派判事は、「自分の信条に反して、サイエントロジー(のようなカルト)のためのウェブサイトもデザインしろというのか?」と言っていたけれど、本当にその通りで、逆にゲイのウェブ・デザイナーに「最高裁同性婚違憲にしよう!」というキャンペーンのウェブサイトも依頼できちゃうわけです。黒人の画家に白人至上主義者の肖像画を依頼したりとか。

 これって・・・死刑制度の是非のように、恰好のディベートの題材ですよね。正解が無い。あっちを立てればこっちが倒れ、こっちを立てればあっちが倒れる、みたいな。
 
 結論を書きます。アメリカの最高裁では、6-3の多数決でウェブ・デザイナーの主張が認められました。最近、6-3ばっかりですね。保守派判事6人全員がウェブ・デザイナーの主張を支持、リベラル判事3人が反対。

 「Expressive Job=自己の表現と認められる仕事」とは何か? これに関してかなりの議論がなされたようではあるのですが、結局明確な基準等は見いだせずあいまいなまま最終的な判決に至ったようです。どっちに転んでもかなり苦しい判決だけど、今の最高裁は保守派が多いので、ウェブデザイナーの主張に同情的だったというだけ、と解説されていましたね。ゲイ・コミュニティにとっては大きな敗北、大きな後退であることは間違いなく、がっかりしている方も多いと思われます。今後、同様の「ゲイ・カップルお断り」がしやすくなる流れであり、それよりも何よりも、当人や当人のご家族は自分たちが社会から拒絶されたように感じ、傷ついておられることでしょう。難しいよね、やっぱり。今が踏ん張り時かもなあ・・・。

 でもさあ、そのゲイ・カップルもなんでまたこういうゴリゴリのクリスチャンに仕事依頼して、訴えられて負けてゲイ・コミュニティ全体に不利益を及ぼすようなヘタをこいてるわけ? ほかにもウェブ・デザイナーはいっぱいいるでしょうに。まさか「僕らの結婚を神もきっと祝福してくれる!」とかクリスチャンの神経を逆なでするようなメッセージを入れろとか言ってないでしょうね!? 一体どんなゲイ・カップルなわけ?

 などと思っていたら・・・・・・なんと、なんと、このゲイ・カップルは「存在しない」のだそうです。 え?え?え?はあ?ってなりますよね。

 なんでも、今回訴えたウェブ・デザイナーさんは、
「同じ街にゲイの結婚式のためのウェディング・ケーキ作成を断って最高裁で戦ったケーキ職人がいるのを知っている。私はこれからウィディング・ウェブサイトの分野に参入しようと計画しており、将来、ゲイの人たちの依頼を断って州から罰則を受けるのを防ごうと思った」
という考えで、そのケーキ職人の弁護を担当したクリスチャン連盟みたいなところを組んで戦ったそうで・・・。(ちなみにケーキ職人のケースは、その職人が部分的な勝利を勝ち取ってはいるのの、その時は最高裁ははっきりとした判決に至らず終わったそうです。)コロラド州側の弁護士は、「そもそも訴訟するだけの根拠が無いじゃないか」と主張したらしいのですが、そこでウェブ・デザイナー側が持ち出してきたのが、何年も前のたった一通のオンラインフォームからの申し込み。男性名で、
「○○月に×××という男性との結婚を予定しているので、招待客のテーブルに置く名札などのデザインを依頼したいです。ウェブサイト作成も視野に入れています」
という内容で、ロリ―・スミスさんは無視して返信もしなかったそうな(いいのか、プロとして・・・)。
 つまり、実際にクライアントの依頼を拒否して係争状態になったわけでもなんでもなく、「将来そうなるかもしれないから~」というだけで最高裁で争ったという・・・。なんか、最高裁ってそんなもんなの? よくわからなくなってきましたよ、私は。
 しかも、どっかのメディアが、そのオンライン・フォームを送った男性の正体をメールアドレスから突き止めて、直撃取材をしたところ、その男性曰く、
「僕は絶対にそんなのは送ってない、それは僕がやったんじゃない」。男性は、同じ女性と10年以上結婚しているし、「僕自身がデザイナーだから、そんな依頼をほかのデザイナーにするのはありえないんだけど」、だってさ。
 結局、ウェブデザイナー側が「訴訟の根拠」として提出したたったひとつのオンライン・フォームからの申し込みは、なりすましによる荒らしか自作自演かいたずらだったということで、そもそも必要の無い訴訟だったという・・・。「誰もあんたになんか依頼しないよ!」というゲイ・コミュニティからの大合唱が聞こえてきそう。必要の無い訴訟起こされて、負けて、生きづらい立場に追いやられて、ほんとゲイの人たちはつらいところだよね。でも、「大変だからゲイやめるよ」ってわけにいかないんだよ、そうできないことに苦しんでるわけだし。
 
 これ結局、勝者はロリ―・スミスさんでも誰でもなく、割り切って仕事できる人かな。

同性婚でも異性婚でもなんでもお仕事受け付けます! 来るもの拒まず! 私は、白人至上主義者のウェブサイトをデザインした次の週にブラック・ライブズ・マターのウェブサイトのデザインができるデザイナー! ご依頼いただければ、そして金払ってくれるんなら、感情挟まずなんでもデザイン致します! まるでAIのように! 安い速いうまい! 金金金MoneyMoneyMoney$$$¥¥¥!!!」

 こういう人が勝ち組? 一番依頼がたくさん来そう。でもまじめな話、いろいろえり好みしてるとAIに仕事とられちゃうよ、ウェブ・デザイナーさん。