WRITE, DREAM, LIVE

アメリカ在住の日本人がいろいろ書き散らす

あのトランプのブログですら読まれない SNSの影響力大き過ぎ怖すぎ

f:id:AgentScully:20210905205605j:plain
画像は本文とは全く関係の無い、先日公園のベンチで見かけた全裸美女 怖い

 6月2日付のニューヨーク・タイムズ紙の記事:

「トランプ氏、ブログを閉鎖 少ない読者に不満」
www.nytimes.com

 みんな・・・どうしたの!?

 トランプがやれと言ったら職も何もかなぐり捨てて国会議事堂に乱入したり、ウィルス蔓延しまくって病院や葬祭場があふれている時でもマスク無しで何千人もぎゅうぎゅうになって集会したり、トランプ様のためならなんでもやるんじゃなかったのー!?

 でもそんな人たちでも、

「ブログをわざわざ読みに行くのはめんどくさいや」、

というこの不思議・・・。

 トランプ元大統領のブログ閉鎖の理由は、「あまりにトラフィックが少なく(読んでくれる人が少ない)、本人が影響力を失った小さな存在ととらえられるのを嫌ったため」だそうです。

 メジャーなSNSからいまだに軒並み追放を食らっているトランプ元大統領、このブログがネット上での唯一の発信だったわけですが、それすらやめてしまい、今はまったく別のプラットフォーム、おそらく新しいSNSの立ち上げ等を計画している様子。

 私は、いかにトランプが愛されているかをひしひしと感じる地域に住んでおります。今だに、玄関にトランプ支持の大きな旗をひらひらさせている熱心な支持者(信者と書くべきか)のおうちが近所にちらほら。 

 こうやって積極的にアピールするほどではないけどトランプを熱心に支持している人ももちろんまだたくさんいると思われ、この今回のブログ閉鎖の件は、私には「トランプももう終わりだな」ではなく、「やっぱブログはもう終わりだな」にしか思えません。 積極的に情報を発信するツールというより、やっぱり「自分史の記録」ツールなんでしょう。

 今は、もうみんなSNSなんですよね。

 いくらネットの海で花火を打ち上げても、「花火があがってるよ」「あそこになかなかいい花火上げてる人いるよ」と世界に中継・宣伝・拡散してくれる「何か」が無いとひとりぼっち・・・。

 このブログを書いているはてなブログだってSNSなわけですし。読者登録の機能とかありますからね。拡散されて誰かの携帯なりコンピュータなりの画面に勝手にプッシュされる仕組みが無いと、わざわざ誰かのブログに読みにはいかないですよね。

 人間はどこまでめんどくさがりになってしまったのか!? 

 大好きなトランプのブログをお気に入りに入れて、たまに覗きにいくのすらめんどくさいですと!?

 ついこの間まで土器で生活して洞窟の壁に絵を描いて貝塚にゴミ捨ててたのに・・・。

 だがしかし、ここまでSNSが大きなものになってしまうと、その使用を抑えようという動きも出てくるのではないかと予想しています。

 Appleがスクリーン・タイムの機能を入れたのは、iPhoneだのiPadだのを売りつけている行為と矛盾しているのだけど、あまりに便利だったり使われ過ぎたりすると人々の生活に弊害が出るようにもなってしまうので、歴代人気商品では常々行われてきたマーケティングの方法のひとつ、とも聞いたことがあります。
 つまり、Apple側としては、
「iPhone買ってね! どんどん新しいの出すからね! いっぱいいっぱい使ってね! 24時間寝ないで使ってくれてもいいよ!! 中毒なんて心配要らないよ!!」
という売り方は長期的に観て商品の売り上げをゆるーく下げていく要因になるので、商品を「みんなが健康な生活を送りながら使える商品」、という存在にしたほうが長い目で見ると商品が生き残る・・・という戦略のようです。

 アルコール飲料だのタバコだのに中毒の危険性が書かれていたり、車にシートベルトが導入されたのも同じような理由だそうで・・・。ユーザーや消費者の便利に傾き過ぎるとかえって商品やサービスから人が離れてしまうらしい。

 SNSはこの点、まだなんの対策もなされていないけれど、大丈夫なのかなと少し思います。人々の生活を楽しく便利にしているけれど、かなり大きな存在になり過ぎてマイナス面も出てきているように思う。これから、Appleのスクリーン・タイム機能みたいに各社が何か対策を考えるんだろうか。どう対策するのか、すごく興味深い。

 ところで、私には、SNS繋がりじゃなく、携帯のFavoritesに登録しておいて「定期的にわざわざ読みにいく」行為を何年も続けているサイトがいまだに少数あるんですが、よく考えると私にそうさせているそのサイトたちはすごいということですな。 トランプ信者がトランプへの愛をもってしてもなしえなかったことを、私に何年も続けさせているわけですから。

 本当にいいものだったら見ている人は見ている、ということかなあ。