【お子さんの障害で人生を失ったと思っているあなたへ】あなたはひとりぼっち、でもひとりでもない
毎週のように、精神科とか、救急病院とか、学校の先生と緊急ミーティングとか、もう・・・もう・・・人生最高にキラッキラの夏・・・じゃない。
私は、重度自閉症の子供を育てているのですが、この半年くらい、坂道を転がるように症状が悪化していって、きつい。今年は、ロックダウンしてた去年よりずっとどこにも外に出られなかった。発作のように暴れ出す自閉症児の暴力から、家族みんなして逃げ回っていた思い出しか無い。
孤独だなあ、社会から孤立してしまっているなあと感じる。
こんなにひとりぼっちなのは私が移民でしかも障害児の親のせいだ、日本に帰ればせめてもう少し親の会とかでも友達ができるんじゃないだろうか、などと思ったりもしていたけれど・・・。
今、居住している州の自閉症の親たちのFacebookのグループでこんな投稿を見た。
Do any mom's feel as if you no longer have a life?
(人生がなくなってしまったように感じているお母さんいませんか?)Like I don't work cuz daycares won't take my son cuz he requires to much attention and could harm other kids.
(私は働けないんです。息子は手がかかるし、他の子を傷つけるかもしれないって保育所が預かってくれないから。)I can't find sitters that last more then a day or two.
(1、2日以上続くベビーシッターだって見つけられない。)I have lost all my friends they just stopped coming around or even talking to me.
(友達もいなくなった。近寄って来ないっていうか、話しかけてもこないよ。)So I sit in my house all day everyday and I'm going crazy lol.
(だから一日中家で座ってる。頭おかしくなりそうハハハ)
もうねー、返信欄は「Me too」「Same」の嵐です。
「あなただけじゃない」
「わたしもひとりぼっちと感じる」
「家族も友人も失ったよ」
「絵とか写真とか家の改築プロジェクトとか、いろんなことに没頭して孤独を紛らわせている。それでもひとりなことは変わらないけど、くよくよ考えるのは減るよ」
こういうの読んでいると、私はたとえ日本に帰っても、世界のどこにいても、今の孤独からは抜け出せないんだろうなあと思う。
社会に入って行けない人の面倒を見るっていうことは、基本的に孤独と仲良くならないといけない仕事なんだろう。
ところで皆さんは、『オランダへようこそ』という詩をご存知でしょうか? ダウン症の子を産んだアメリカ人の作家エミリー・パール・キングスレイさんの美しいエッセイ(詩?)です。原文はここ、日本語訳は検索すればわんさか出て来る。著作権侵害が怖いのでまるまる載せることはできないけれど、こんな感じ。
「私はずっと休暇でイタリア旅行することを夢見て生きて来た。たくさんイタリアのことを勉強して準備して飛行機に乗って、着いたところで言われたのは、ここはオランダです、という言葉。
オランダに来たかったわけじゃない。こんなはずではなかった。友人たちはイタリアで楽しく過ごしている。その話を聴くたびに心が痛む。失った夢は取り戻せない。でも、次第にオランダの美しい景色が見えてきた。イタリアとは少し違う場所と言うだけでここはここで素晴らしい。
いつまでも、イタリアに行けなかったことを嘆いていると、今いるオランダで生きる喜びを失ってしまうよ?」
ざっくりと書くと上記のような感じなのですが・・・。
私は、セラピストのロリ・ゴットリーブの本『Maybe You Should Talk To Someone』で上記が紹介されていたことで、初めてそのエッセイの存在を知り、その時は涙涙で読んだんだけど、今はなんというか、いやいや、イタリアとオランダなんてもんじゃないでしょ、とつっこみを入れたくなってしまう。(ロリ・ゴットリーブの本に出て来た患者さんも確か「いまいちしっくりこない文章だ」と言っていたように記憶している)
障害も重いものになると、なんかもうオランダへようこそって言われても、ここはシリアか北朝鮮か米軍撤退後のアフガニスタンか?という気持ちになる人も多いんじゃないかなと。なんか日々生きているだけでせいいっぱいで、オランダの美しさに思いをはせる余裕も無く、失ったイタリア旅行を嘆く気持ちすら湧かなくなってくる。
友達や家族が寄って来なくなるのも仕方ない。
「私、シリアに住むことになっちゃった! 色々と大変だけど、是非遊びに来てね!!」
と言われても積極的に遊びに行きたくなる人はいないだろう。
「日本に行きたいところはたくさんあるし・・・それに、私たちが脳天気に観光に行くの、なんか申し訳無いし、ね・・・」
家族や友人がそう考えるのは自然な気がする。友達も家族もあなたを見捨てたわけじゃない。あなたを嫌っているわけでもない。どうしていいのかわからないのである。シリアを知らないから。北朝鮮もアフガニスタンも知らないから。
きっと離れたのは彼らではない。彼らからすると、あなたがきっとある日突然見知らぬ世界へと去ってしまったように感じているのだろう。
それにそばに来てもらっても、きっとあなたは孤独と違和感にさいなまれるだろう。あなたが、
「将軍様の粛清の犠牲にならずに、そして餓死せずに生き延びるぞ」
と毎日髪を振り乱している時に、
「息子の志望校合格が厳しそうなの・・・」
という友人が来るようなものである。どちらも悩みが真剣で深刻なことには変わりは無い。しかし話があって盛り上がれるわけもないのだ。生きている世界がまったく違うんだから。
でも、シリアも北朝鮮もアフガニスタンも人口は一人というわけではない。たくさんの人が生きている。一生懸命、その地で命を燃やしている。
あなたはきっと、その地ですれ違う見知らぬ人と、
「偉大なる将軍様、万歳!!!」
と挨拶をかわしつつ、何も言わずともその険しい表情の下に、
「あーあ、やってらんないよ、もう。Lotteのチョコパイ、空から降って来ないかなー」
という本音を感じ取り、互いにすれ違ったあとでにやりとするかもしれない。(※北朝鮮ではLotteのチョコパイは貨幣よりも価値があるとか。食糧難の北朝鮮のために国境から風船にチョコパイつけて飛ばしている韓国のボランティアがいるそうです)
あなたは人生を失ってなどいない。まだその命がある限り、それが人生。誰かとキャッキャキャッキャと楽しい友人関係を築くことはないかもしれない。でも、同志はどこかに必ずいる。あなたは一人だけど、一人じゃない。
行けなかったイタリア旅行を嘆いている時間は、あなたには無い。
あなたが生きることになった土地は、気候も厳しく社会不安も大きいのだ。
心身のメンテナンスに時間をかけ、誰よりも健康でいるように努力しなくてはならない。
そして、生き延びるためにたくさんのことを学ばなくてはならない。
お金も稼がなくてはならない。
力を貸してくれる人を探し回るのにも時間がかかるだろう。
行き倒れそうになっている人に、できるなら手も貸してあげないといけない。
そんなふうに生きているうちに、きっと孤独も忘れてしまうだろう。それでいいのかもしれない。
全世界の同志たちよ、どこかですれ違うのを楽しみにしています!